日本には、国宝といわれている土偶が五体ある。
北海道函館市にある「中空土偶」、八戸市にある「合掌土偶」、長野県茅野市にある「縄文のビーナス」と「仮面の女神」、山形県にある「縄文の女神」の五体。
長野県茅野市にある『茅野市尖石縄文考古館』には、国宝の土偶五体のうち二体が、ここ茅野市尖石縄文考古館に展示されている。
ここの博物館に展示されている土偶とは『縄文のビーナス』と『仮面の女神』である。
どういう土偶なのかは、事前に書籍などを読んでいて知っていたが、いざ本物を目の前にすると、身体の中から、ぐぐぐっと感動というものが湧き上がってきて、一目惚れした。
土偶とは、遺跡を調査しているとき、たいてい壊れて出土することが多い。
むしろ、土偶のパーツが、バラバラになって出土することもある。
なぜ壊れた状態で出土するのが多いのかというと、故意に壊す説、いまから千年以上前と時間が経つから、キレイに埋められたけど、出土するときは、壊れて出てきてしまった、もともとパーツをバラバラにして埋めた説など、いろいろ考えられる。
しかし、この縄文のビーナスは、故意に破壊されて出土したわけではなく、あえて丁寧に土の中に埋められていた、ということなのだ。
なんで、あえて丁寧に埋められていたのか、はっきりとしたことはわからないけど、出土した状況から、そのように推測できるということである。
私は、縄文時代の人の気持ちになって、縄文のビーナスを丁寧に埋めようとする心理?みたいなものを妄想してみようと思った。
縄文のビーナスは、令和になった現代でも、かわいいと思えるフォルム、顔や頭、太い足も、チャームポイントといえるような風貌である。
だからきっと、誰でも、縄文のビーナスを見て、感情移入できるのはずである。
<以下、私が勝手に考えた妄想ストリートです>
縄文のビーナスを持つ少女は、ここの村から出ていかなければならないことになっていた。
村を一緒に出て行こうとする人たちに、少女はせかされる。
少女は、この縄文のビーナスを一緒に持って、次の村に行きたい。
でも、諸事情により、手放さないといけない。
少女は、縄文のビーナスを、特別な場所に埋めることに決めた。
「私はあなたに会えて良かった、いままでありがとう、私はあなたと離れてしまうけど、ここで強く生きてほしい」
と言いながら、縄文のビーナスを丁寧に土に埋めた。
なんて、自分で勝手に妄想して書いていたら、アホなくらいパソコンの前で泣けてきた。
縄文のビーナスは、暗がりのところに置いて光をあてると、キラキラと光る土偶だった。
当時の人は、なぜこの土偶がキラキラ光るのかわかるはずもなく、他の土偶とは一線を画していたに違いない。
仮面の女神も、かわいいとはいえるかどうかわからないが、デザインが良い。
女性の象徴などハッキリと表現されたところはあるけど、この土偶を作った人の気持ちを妄想すると、またもうひとつのどうでも良いストーリーが生まれそうである。
てかさ、アニメや映画の影響を受けすぎだろ、と言いたくなる。
でも実際、そういうストーリーは、縄文時代でもあったと思うのだ。
人間なんて、大昔から、たいして進化していないのだから。